久留米城について
1500年代初頭にこの地を治めていた土豪が砦程の規模の篠山城を築いたのが久留米城の始まりとされ、その後1530年~1555年の間に御井郡の代官が修築、1573年に高良山座主良寛の弟麟圭が城主になる。
大友家、龍造寺家、島津家と主を変え、豊臣秀吉が九州を平定したあとは小早川秀包が城主となり元城主の麟圭は殺害されてしまいます
関ヶ原の戦い後は西軍に付いた秀包に代わり、田中吉政が筑後32万5000石が与えられ柳川城へ入ります。久留米城は柳川藩として柳川城の支城となるが、一国一城令により廃城、1620年に断絶となり改易、翌年1621年に丹波福知山7万石から有馬豊氏が加増転封となり、久留米藩となります。
入封後、筑前福岡城主黒田長政の協力で久留米城を大幅改修、現在の規模となりました。その後、久留米は有馬家支配のまま明治維新を迎えます。
久留米駅到着!


福岡城がある博多周辺から久留米に行くには、西鉄天神駅から西鉄電車で向かう方法と、博多駅からJRの主に2つの方法がありますが、今回はJRを使用して久留米まで向かいました!
駅前には世界最大級のタイヤということで、でっかいブリヂストンのタイヤがあります。ブリヂストンの創業者が久留米出身ということでブリヂストンと久留米は縁が深いということみたいです。
久留米城到着!
現在の城跡の遺構が残っている場所はすべて当時の本丸で、二の丸や三の丸などは近代化が進むにつれ、市街地となっています。

入り口にマップと各遺構の簡単な説明が書いてある看板が設置されています
冠木御門(かぶきごもん)跡


本丸への入り口にあたる桝形門です。
虎口となっており、もともとは冠木御門の前に櫓門がありました。
現在は看板が設置されています。
巽櫓跡

久留米城の巽(南東)の方角に建てられた櫓で、正面入り口である冠木御門の東側の櫓です。
本丸に天守がなく、久留米城で一番大きい櫓だったため、天守の代わりとして使用されていました。
蜜柑丸跡


この辺りにみかんの木が植えてあったことから蜜柑丸と名付けられました。
現在は参拝者駐車場・グラウンドになっています。
月見櫓跡

櫓の上に登って月見をしたことから月見櫓と呼ばれました。
近くには、月見櫓御門(東御門)と呼ばれた東側の入り口にあたる門があり、古地図などから形式は多聞櫓門であったと推測されています


本丸御殿跡


本丸御殿跡には現在は篠山神社の境内となっています。
そして、その脇には豊臣時代に城主を努めた小早川秀包を祀った小早川神社があります。
艮櫓(うしとらやぐら)跡

久留米城の艮(北東)の方角に建てられたことから乾櫓と呼ばれました。
乾櫓跡


久留米城の乾(北西)の方角に建てられたことから乾櫓と呼ばれました。
景色が綺麗でタイミングよければ新幹線が橋を渡るところを見ることができます!
井戸

もともとは城内に3つの井戸があり、現存しているのは2つ、そのうちの1つが本丸に現存しているこちらの井戸です。
有馬記念館

記念館建設前は坤櫓(ひつじさるやぐら)跡地で、現在は久留米藩の歴史や1620年から明治維新まで藩主を務めた有馬家に関する展示を行っている記念館となっています。
現在(2026年1月末)は改装工事中のため休館中です。
二の丸


廃城前は、久留米藩の家老の屋敷などが置かれていて、現在はブリヂストンの工場の一部となっています。
工場の目の前は、「ブリヂストン通り」の名前が付けられています。
100名城スタンプ・御城印


100名城スタンプは篠山神社の社務所脇にあります。御城印と篠山神社の御朱印はおみくじみたいにお金を入れて取る形になっています。日付は入っていないので、日付を描いて欲しい人は社務所で受け取る必要があります。
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