熊本城について
・別名:銀杏城・千葉城・隈本城
・様式:梯郭式平山城
・築城者:出田秀信(千葉城)・鹿子木親員(隈本城)・加藤清正(熊本城)
・築城年:1469年
・主な城主:出田秀信(千葉城)・鹿子木親員(隈本城)・加藤清正・細川忠利
・拠点とした藩:熊本藩
・歴代藩主:加藤家・細川家
・日本100名城・続100名城 No.92
1588年に加藤清正がそれまでの領主佐々成政の改易に伴い肥後北半分19万5000石の領主に。隈本城・千葉城の縄張りを取り込んで改修。
1591年から本格的な築城に着手、1600年には関ヶ原の戦いの功により肥後52万石に加増、翌年に隈本の地名を熊本と改称。
1632年、加藤清正の子・忠広の改易により豊前小倉藩主・細川忠利が肥後54万石の藩主として入封。その後、明治維新まで細川家による藩政が続きました。
明治時代の1877年の西南戦争の際には、明治政府軍と西郷隆盛軍が熊本城を巡り、攻防戦を行い、熊本城の歴史上最初で最後の攻防戦となりました。
2006年に日本100名城(No.92)に登録されました。
2016年の熊本地震の際には石垣の崩落や、天守や櫓などの屋根瓦の落下など大きな被害が出るも、現在完全復旧に向けて作業中で、完全復旧は2052年頃になる予定とのこと。(2022年現在)
熊本城到着

熊本城まで行くには、熊本駅からバスが便利です。
桜の馬場城彩苑で下車、そのまま園内を抜けたら券売所があります。
チケットを買ったら入城です。復旧作業が終わるまでは安全のため建物の横を通れないということなので、特別見学通路が設置されています。この通路が撤去されるのは2040年頃になると。近くにいたガイドさんが言ってました。
西出丸エリア
平左衛門丸と数寄屋丸の北側・西側を守るために加藤清正時代に築かれたとされているエリア。
藩政時代には北側は米蔵などが置かれ、南側は奉行所が置かれ奉行丸と呼ばれていました。
平左衛門丸
宇土櫓


3重5階の五階櫓。
以前は6基の五階櫓が建てられていたが、現存するのは宇土櫓の1基のみ。
天守閣を除いて熊本城の中で一番高い櫓。全国で現存する天守・櫓の中で姫路城・松本城・松江城に次いで4番目に高い櫓。
一帯の郭を管理する加藤平左衛門の屋敷があったことから平左衛門丸と呼ばれたとされる。
一国一城令による宇土城の廃城の際に天守閣を移築したものと伝えられていたが、1927年の発掘調査では移築の痕跡はなく、現在は関ヶ原の戦い後に改易された宇土城主・小西行長の旧臣を管理するための施設があったことから宇土櫓と呼ばれるようになったという説が濃厚。
数寄屋丸

天守閣の南西にあり、能や茶会などが開かれ外部からのお客さんをもてなす場所として使われました。
石垣などは熊本城の中でも古い築城技術を使っており、築城当初は前身の隈本城の詰の丸として築かれたと推定されています
奉行丸

藩政時代に奉行所が置かれており、西出丸の南側にあったとされています。
西大手門・南大手門で西出丸北側と区切られていました。
本丸エリア
飯田丸五階櫓

加藤清正の家臣・飯田覚兵衛が築き管理したことから飯田丸と呼ばれたとされます。
飯田丸南西に五階櫓が建てられていたと推測されています。
連続枡形

飯田丸から竹の丸を6回折れ曲がり結ぶ通路。熊本城の防御力の高さを表しており、熊本城の特徴のひとつ。
東竹の丸の櫓群

単層櫓が連続する場所で四間櫓・十四間櫓などがあり、重要文化財にしていされています。
闇り通路(くらがりつうろ)


本丸御殿の下を潜る通路で、建物の下の通路は全国的に見てもとても珍しい構造。侵入してきた敵を迷わせたり、殿様の正式な入口にもなっていました。
建物の下にあるため昼間でも暗いことから闇り通路と呼ばれました。
天守閣

二つの天守閣がある「連結式望楼型天守」。大天守は五重六階(地下一階)で「一の天守」と呼ばれ、小天守は三重四階で「二の天守」や城主夫人のための「御上(おうえ)」とも呼ばれました。
築城当初は、小天守から階段櫓(現・観光客用出入口)、多門櫓を経て本丸御殿まで繋がっていました。本丸御殿から先は闇り櫓門、地蔵櫓門、数寄屋丸五階櫓などを通り数寄屋丸櫓門につながっていて、建物から一度も出ずに西出丸へ行くことができました。
武者返し

熊本城を築いた加藤清正が得意とする技術で、石垣の勾配が下部は緩やかで上部に行くほど険しくなるつくり。
武士では登れないことから武者返しの名前がつけられたという。
また、攻撃だけではなく地震にも強かったといわれています。
井戸

築城した加藤清正が朝鮮出兵の際の籠城経験から城内に120ヶ所以上の井戸を掘った籠城する上で重要な施設。中には深さ30mを越える井戸もあり、その一部が現在も利用されています。天守閣そばにあるこの井戸は現存する数少ない井戸。
加藤神社


熊本城を築城した加藤清正を祀る神社。


神社内には文禄の役記念の旗立石や加藤清正お手植えの杉が残されています。

天守閣が綺麗に撮れるフォトスポットも設置してあります。
御朱印

御朱印がこちら!
二の丸

西出丸の西側を覆うように築かれた郭。江戸時代の加藤家改易後に入封した細川家時代に築かれ、一部石垣などで防備を固めていない部分があります。
江戸時代末期には藩校・時習館が建設され、明治以降は陸軍幼年学校熊本大学医学部などが置かれ、現在は駐車場や広場として活用されています。

一番の特徴は薩摩街道(豊前街道・豊後街道)が郭内を横切っているところであり、江戸時代には一般市民が城内を日常的に通っていたそう。
城の北側で豊前街道と豊後街道に別れる交通の要衝でもありました。
三の丸


二の丸を囲う様に築かれた郭。二の丸同様、細川家時代に築かれ、一部の櫓を除き石垣による防備は固められていません。
現在は野球場・熊本県護国神社・熊本博物館などが立ち並んでいます。
現在は城の東側に市街地があるが、藩政時代は三の丸西側~南側に城下町がありました。
熊本県護国神社の御朱印

熊本県護国神社の御朱印がこちら!
昼食:桜の馬場城彩苑


昼食は熊本城隣接の飲食店やお土産屋さんが立ち並ぶ桜の馬場城彩苑内にある「山見茶屋 阿蘇庭」であか牛の牛すじ煮込みを食べました!
詳しくは食べログにレビューあげているのでご覧ください!
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