リョウタのひとり旅

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愛知旅行⑥~名古屋城の見どころ・アクセス・御城印を紹介!~

今回は愛知旅行の最終日に名古屋城へ行ってきたので、簡単に見どころとアクセス、御城印を紹介していきます!

◆前回の記事はこちら!◆  

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名古屋城の基本情報

・別名:金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城

・様式:梯郭式平城
・築城者:徳川家康(天下普請)
・築城年:1609年
・主な城主:徳川義直、徳川宗春、徳川慶勝
・拠点とした藩:尾張藩
・歴代藩主:尾張徳川家
・日本100名城・続100名城:No.44

1609年、徳川家康が尾張の中心地だった清洲城に代わる新たな城として名古屋城の築城を決定

翌年の1610年に全国の大名に命じ、天下普請により築城を開始。1615年、完成

1612年頃、清洲城の住民が名古屋へ移住する清州越し」が開始1616年頃に移住が完了し清洲城は廃城。「尾張の中心地」としての役割は名古屋城に引き継がれました

その後、約260年間にわたり尾張徳川家の居城となり、明治以降は名古屋鎮台が設置されるなど陸軍の管理下に置かれた一方、天守などの主要な建物は残され国宝に指定されました。

1945年の名古屋空襲で天守などの建物は焼失、金のしゃちほこも焼失しました。

戦後に入ると天守などの建物の復元が進められ、2018年には本丸御殿の復元が完成

名古屋を代表する観光地として、多くの人が訪れています。

アクセスと所要時間

アクセス
・名古屋市営地下鉄名城線「名古屋城」より徒歩約5分

・所要時間:約1時間30分~3時間

本丸エリア

天守閣

現在は耐震性の低いことにより、内部への入場は不可です。

将来的には、現在の天守を取り壊し新たに木造で天守を復元する予定となっていますが、着工時期は未定のようです。

本丸御殿

尾張藩初代藩主・徳川義直の住まいとして1615年に完成。1620年に義直が二之丸御殿へ移り、以降は将軍が名古屋城滞在中の宿泊所として使用。

1634年には3代将軍・家光の滞在に合わせて増築が行われたものの、1865年に14代将軍・家茂が宿泊するまで利用がなく、明治以降は天皇や皇族が称しました。

1945年の名古屋空襲の際に焼失したものの、2018年に内部の障壁画とともに復元されました。

本丸表二之門

本丸表門の内側から2つ目の門にあたることから二之門と呼ばれました。

一之門と二之門の間は枡形になっており、二之門を突破した敵は一之門の櫓門と周囲の石垣の上に築かれた多門櫓の3方向から攻撃を受けることとなり、城の防御力強化のために設置されました。

西南隅櫓

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天守の完成と同時期に完成し、現存する3つの隅櫓のうちのひとつ

外見は2階建てですが、内部は3階建て。平時は倉庫として活用され、歴代藩主の甲冑を保管。

清正石

名古屋城の石垣の中で最大の石。

石垣づくりの名手と呼ばれ、築城の際に普請奉行を担った加藤清正が運んだという伝承があったことから、清正石と呼ばれますが実際にこの周辺の築城を担当したのは黒田長政

大きさは幅約6m、高さ2.5m。

旧二之丸東二之門

以前は東黒鉄門の二之門として二之丸東側にありましたが、1963年に旧愛知体育館が建設されることになり解体。1972年に解体後に保存されていた部材を使用し、名古屋空襲後に焼失した本丸東門の二之門の跡地に移築再建。

本丸東一之門跡

本丸の搦手を守備する門で、一之門と二之門の二つで構成されていましたが、名古屋空襲で焼失。

焼失前は櫓門形式の門で、現在は礎石と敷石が残り焼失前の大きさが分かるようになっています

不明門(あかずのもん)

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本丸と御深井丸を繋ぐ門で常にカギがかけられていたことから「あかずの門」と呼ばれていました。

本丸に何かあった際の非常口としても使用されていたそうです。

御深井丸エリア

西北隅櫓

通称「清州櫓」。名古屋城築城の際に清州城の天守閣を移築したもので、重要文化財に指定されています。

乃木倉庫

1880年に陸軍の予備弾薬庫として建設された現存する最古の様式弾薬庫

当初は「第一倉庫」と呼ばれていましたが、1931年の一般公開にあたり名古屋に在任経験のある元陸軍大将の乃木希典にちなみ「乃木倉庫」と呼ばれるようになりました

名古屋空襲の際には本丸御殿の障壁画などをこちらの倉庫に避難させ保管したことから、焼失は免れました。

鵜の首

外堀と内堀を結ぶ細い堀と狭い土橋を設けたもの。

築城当初は5ヵ所設けられており、そのうちの4ヵ所が現存しています。

写真は、天守閣西側のもの。

剣塀

軒先に剣を並べて設置した土塀

本丸の火災が大天守への延焼を防止するために不明門などは櫓門ではなく土塀になっており、土塀の防御力の低さを補うために剣が設置されています。

西の丸エリア

正門

築城当初は榎多門という門がありましたが、明治以降に一之門と二之門が撤去。

1911年に旧江戸城の蓮池門を石垣を広げて移設。名古屋空襲で焼失したものの、 されました。

名古屋城のカヤ

築城前の1610年より前から植えられていたと伝わり長生きする神聖な樹木として現在まで残され天然記念物に指定されています。

二之丸エリア

二之丸庭園

1618年に藩主専用の庭として造られ、1822年に東側を拡張

北西側の一部が陸軍の将校集会所の庭として利用されたことから改造されていますが、ほとんどの部分が地形などを含め江戸時代から変わっておらず2018年にほぼ全域が名勝に指定されました。

南蛮練塀(惣南蛮練築地)

二之丸北側の堀に面するように築かれた土塀。

砂や石、石灰を混ぜたものを層状に積み重ねた名古屋城の他の土塀とは違った塀。

那古野城跡

かつて織田信長が城主を務めた城

1582年の本能寺の変後に廃城になり、名古屋城は旧那古野城の敷地を取込み二之丸として築城

埋門跡

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二之丸西北の土塀の下の石垣に門を設けたもの。

平時は北側にある下御深井御庭への通路として使用され、非常時は藩主の脱出口として使用されました。

清正公石曳きの像

天下普請で石垣奉行を務めた加藤清正が石を曳いているところを像にしたもの

東門

名古屋城の入場口が設けられている門のひとつ。

 

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COmming soon...

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